以下の文章に、批判や不満があるでしょうが、
しかし、私が考えていることは、特定の業界の利益ではなく、
「公益」が大事であるということです。
 特定の業界が繁栄するかしないか、それは眼中になく、
国が繁栄するか、国が傾くか、そういう観点で書いたわけです。
 こう書いても、まだ、わからない人が多いかもしれません。
何しろ、今の日本では、公益という言葉が「死語」に近いからです。
 今の大勢は、
「自分さえよければ」あるいは「自分の企業(業界)さえよければ」が主流であり、
公益を語る人は、少数派であり、肩身が狭いかもしれない。
 しかし、こんな大勢は、やがて国が傾く原因となるでしょう。
亡国の道は広く、救国の道は狭く、険しい。

公私混同 2006 6 16
 民間人を、行政機関の長に任命することは、メリットが大きい。
たとえば、金融庁長官に、証券会社の社長を任命する。
 こういう人物ならば、証券業界や株式市場のみならず、
金融業界にも詳しい。
だから、金融改革も、本格的なものとなる。
決して、「本の表紙だけ変えた改革」には終わらない。
 しかし、懸念があります。
それは、金融改革を推進しつつも、
しっかり出身企業の便宜も図るでしょう。
(ついでに、出身企業が有利になるような改革も行うでしょう)。
 何しろ、今の企業人に欠けているものは、「公共性」です。
その代わり、金銭欲は、過去最大級のものでしょう。
 たとえ、在任中は、潔白でも、退任すれば、
元の業界に戻るわけだから、「戦利品」を持ち帰る必要があるでしょう。
 行政機関の長で、たとえ話をしましたが、
この話は、政府の諮問機関の委員に就任した場合も、当てはまる話でしょう。
 そういうわけで、民間人を、行政機関の長や委員に任命した場合は、
やはり、光と影の部分があるのです。
光の部分しか見えない人は、お人よしか、世間知らずの人か、どちらかでしょう。

公共性 publicness 2005 9 26
 公共性が、長期に渡って失われる時代が続くかもしれません。
最近の政府(2005年9月当時)は、郵政民営化という得意分野に特化し、
大企業も、それぞれの得意分野に特化し、収益性の低い分野からは撤退しています。
新興企業に至っては、徹底的な拝金主義に特化しているかもしれません。
 もはや、「公共性」という言葉は、死語になりつつあります。
こんな社会になってしまって、いいのでしょうか。
これが、私達日本人が目指す社会なのでしょうか。
そうだとすれば、実に悲しい。
 どこへ行くのか、日本。
理念もなく、理想もなく。

































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